臼杵焼の背景
今から約200年前の江戸時代後期 (1802年頃)稲葉氏が藩主となる臼杵藩が営む窯場が、臼杵市の末広地区にありました。
島原(長崎)小石原(福岡)小峰(宮崎)の陶工たちによって陶器と磁器が作られ、窯場のあった地名から「末広焼」や「皿山焼」と呼ばれていましたが、
窯が開かれ十数年ほど作られたのちやがて衰退、窯場のあった場所は雑木林になりました。
現存する末広(皿山)焼の資料は少なく、僅かに残る資料をもとに、USUKIYAKI研究所代表の宇佐美裕之が、大分で作陶をしていた薬師寺和夫とともに2015年に再興プロジェクトを立ち上げました。
先人の残した文化の欠片をアレンジし、現代の生活に合わせた器として作るにあたり、名称を " 臼杵焼 ”として、かつて臼杵に存在した窯業文化を伝える取り組みを始めました。
残っていた資料を見ると、島原から来た陶工が作った磁器物には白磁に輪花の形をしたものがありました。
これを手掛かりに、型打ちの技法を取り入れ、白磁輪花シリーズを中心に制作をスタートしました。
2人からスタートしたUSUKIYAKI研究所は徐々にスタッフが増え、現在は「USUKIYAKI研究所」と、器と食の複合施設『うすき皿山』内にある「アトリエ皿山」の二か所で製造をしています。
スタッフは、陶磁器のプロフェッショナルだけでなく、臼杵焼のビジョンに共感したさまざまな分野のプロフェッショナルが集まり、地元の人、移住者、世代や性別のほか、国籍も異なるメンバーです。
写真左)USUKIYAKI研究所
写真右)アトリエ 皿山
大分県の東南部にあり、豊後水道に面した海と、桜や蓮などの花の名所が点在する山々に囲まれ、神社仏閣も多く、臼杵城があったことで形成された城下町の風情が漂う町です。
臼杵市の主要産業のひとつである醸造業は、稲葉家が臼杵藩主となった1600年頃から始まり、栄養豊富な地質と清らかな水の恩恵を受け栄えました。
人々が伝統を守りつつ、改良を加えてきた味噌・醤油・酒造り、そして、質素倹約の中で知恵を絞って生まれた郷土料理など、多様な食文化が発展し存続していることが評価され、2021年ユネスコ創造都市ネットワーク 食文化部門に加盟認定されました。
”器は料理の額縁である”
自然の形、天然の素材からインスピレーションを受けて作る臼杵焼の器は、伝統ある食文化とともにあります。
この地の自然や意匠を焼き付けた器を届けることで臼杵で生まれた文化を伝えること、シンプルかつ華やかで、使う人がいつも楽しくなるような器作りを目指しています。
"長く大切に使ってもらえる製品を作りたい"
自然からインスピレーションを受けた形は、いくつもの手仕事を経て器になります。
手作業による生産は歩留まりが悪いため、その分、完成までに時間と手間がかかります。
限られた資源を大切に使い、手間を惜しまず、長く使ってもらえるものを作る。
豊かな自然が生み出したこの土地ならではの焼き物を、「つくる人」と「つかう人」の双方が大切に育ててこそ、環境にも人にも優しい、持続可能な製品になることを目標としています。